フリーランスデザイナー。Webサイト、ロゴ、ポスター、フライヤーなどのデザインを手掛け、企業や個人事業主のクリエイティブ制作に従事。特にデジタル分野でのUI/UX設計に強みを持ち、ユーザー視点を重視したデザインを提供。クライアントの意図を丁寧に言語化し、一つひとつ形にしていくスタイルが特徴。趣味はドラム演奏、カメラ撮影、デッサン、そして散歩。
高校時代には彼女もでき、グラフは男性寄りに。しかし大学時代になると女性寄りに変化していきます。そこにはどのような思いがあったのでしょうか。
高校生になってからは彼女もできて、なにか変化はありましたか?
高校の時に初めての彼女ができました。そこからグラフも男性性のほうにじわじわ寄っていきましたね。性的興味、自分自身の変化が増していきました。でも、それは心の中に秘めていて、誰かに話したりはしませんでした。付き合った当時の僕はストイックで、難関大学に行きたいという目標を立てて朝はやくから学校の図書館で勉強するみたいなことをしていたのですが、それを一緒にやってくれて、こんな自分でも好きになってくれる人がいるんだなと思いました。
今まで気になる人がいても、特に思いを伝えることはしていなかったかと思います。周りに影響されたなど、お付き合いが始まったきっかけはありますか?
特にそういうものはなかったですね。この頃は本当に周りを気にしていなくて、最初は同じクラスに仲良くなれる人もいなかったですし、「もう1人で生きてく」みたいに思っていたんですよ。でも次第に隣のクラスの男の子とすごく仲良くなって、そこから交友関係も広がって、意識していなかったけど女子とも自然に仲が深まるということが増えていきました。関係性ができるとアクションを起こせるということだと思います。関係性がないとしゃべることができても「その話をしてどういう意味があるの?」なんて言われるんじゃないかとこわがっていました。
そこから男性性を消して若干中央に寄っていきますね。きっかけや経緯について詳しくお聞かせいただきたいです。
大学に入ってビッグバンドジャズのサークルに入ったのですが、吹奏楽出身の人が多くて女子率が高かったんです。一方で男性の先輩が飲み会で激しく酔っ払ているのを見て引いちゃったというか、ちょっと下品だなと思ったんです。すごい声を荒げてたりとか、異性を呼び捨てにしてるとか、普段と違いすぎるなと驚きましたし、お酒を飲まないと本心を言えないみたいなのはかっこ悪いなと感じました。そこから日常でも世間話や自分の考えを異性にも話せるようになり、だんだん女子グループに溶け込むようになりました。
女友達といる時と男友達といる時で役割を演じ分けていることや、楽に感じることなどはありますか?
役割の演じ分けは特になかったです。ただ、気持ちが楽なのは女子の方ですね。男子といるときは誰かの悪口で盛り上がったり、下ネタばっかりでついていけないこともありました…。そういうことをみんなと言い合うのが好きな人もいるけど、僕はそう思わないので乗れなかったです。僕は当時英語や哲学、化学とかに興味があって、そういう話をできるひとなら男女関係なく関われていましたね。
男友達との会話を面白く感じなかった時に、自分は男より女っぽいかもしれないと感じましたか?
それは全く感じませんでした。なんとなく一緒につるんでいるのが疲れるなと思ったくらいですかね。自分は自分のやりたいことをやろうと、気の向くままに過ごしていました。
逆に女子の会話の方が楽だったというのはどういう点ですか?
話を聞いてくれるからかな。僕はすごいたくさん喋っちゃうので。自分も聞くのが好きだし、 「それってこういうことじゃない?」とか深堀っていくことも好きなのですが、自分の周りの男子はあんまり話を聞いてくれない人が多くて、ころころ話が変わって通りすぎていっちゃう様に思います。もちろん、深い話をできる男友達はいるので、交友関係はそういう人に絞られていったという感じです。
その後中性的と言われることが増えたという海さん。私生活では結婚も経て、改めて今ジェンダーについて思うことを伺いました。
結婚して、揺らぐこと、意識することはありましたか?
大学時代の環境もあって、「中性的だよね」という他者評価を受けることが多くなりました。結婚後、妻の女友だちからも「旦那さん中性的な人らしいね」と言われたことがあります。
”さだまらない死性観”(※海さんもメンバーの「さだまらないおばけ」とyurayuratityが主催する死生観と性のゆらぎについて考える合同イベント。)のイベントの時に、「家庭を持つことで、自分は大黒柱なんだと感じると同時に、男性性も強く意識した」という人がいたんです。その人の立場では、なるほどそうかも、とは思うのですが、僕たちの場合夫婦共働きなので、どっちがどっちを養うとかそういう気持ちはないんです。性別で役割を分けることはあまりないんですよね。だから揺れることもないですね。ただ、子供を持つことや妻の生理など、男女の身体的機能を考えざるを得ない部分はあります。
また、小さい頃からやっていた自分を貫くというところは、結婚を機にある部分では抑えるようになったかと思います。相手の状況に合わせて自分を変えることができるようになりました。「相手がこういう将来を望んでいる、じゃあ、自分はこんなキャリアを積んでいってみようかな」とか、そんな風に考えられるようになりました。それだけ、僕も相手との将来を真剣に考えていたからだと思います。
まだ性別ラベルが残っている社会に対して、何か思うことはありますか?
2分法ではなく、グラデーションだなとすごく感じます。ただ言葉としては「男・女」という端っこがあると思っていて、それがなくなるということは難しいんじゃないかなとも思いますが、生物的な体の機能としての男女と、内面の男女と、 外に振る舞う男女みたいないろんなレイヤーがあって、グラデーションがあると思います。だからこのグラフにもう一軸あるとしたら、身体的な観点での男性・女性という軸も追加できそうですね。
世の中で男らしさとのギャップに悩んだり、他人からの意見で悩んでいる人に何かアドバイスをお願いします。
そうですね、人からなにか思ってもみないことを言われたり、揶揄するような発言に対しては「うるさいよ」と思います。なぜなら、自分のことを尊重してたら、そんなことは言わないはずだからです。
例えば「女々しい」という言葉について、そもそもあまりその言葉自体も好きではありませんし、「嫁」という言葉も漢字の成り立ちが「女に家」と書くところがあんまり好きじゃなくて、そういった成り立ちや意味も含めて言葉に気を付けていきたいと思っています。(妻という言葉も「とるに足らないもの」という語源らしく、代替できる言葉がないものかと悩んでいます。) 言葉は日々使うことで価値観を形成するものだし、考え方も変えちゃいますよね。だから「女々しい」という言葉はもう使いたくないし、 逆に「雄々しい」なども目の前の人に対して使うべきではないなと思います。きっと言葉の使い方が変わってくると社会も変わるんだろうなと思うので、LGBTQなども含め新しい言葉が生まれてきて、その言葉を使うことで今まで使ってたネガティブなた言葉たちが廃れていく。そういうことがこれから次々に起こっていくんだろうと感じています。