フリーランスデザイナー。Webサイト、ロゴ、ポスター、フライヤーなどのデザインを手掛け、企業や個人事業主のクリエイティブ制作に従事。特にデジタル分野でのUI/UX設計に強みを持ち、ユーザー視点を重視したデザインを提供。クライアントの意図を丁寧に言語化し、一つひとつ形にしていくスタイルが特徴。趣味はドラム演奏、カメラ撮影、デッサン、そして散歩。
instagram全体を通してブレがないのと、25パーセントを超えないというすごく印象的なグラフだと思います。
他者に振る舞う性の線は特に意識はしていないので一定にしています。男性側に50パーセントくらいでしょうか…。でも100パーセントではないという自覚はあります。 世の中で言われる「男らしさ」みたいな話をされると、 ちょっといやですね。その「男らしさ」というのは、足が速いとかクール・ワイルドみたいなイメージです。あと一人称を「俺」と言うとか。僕にはできないです。
自分は「男性」だなと感じるタイミングとしてはありますか?
小さい頃は車が好きでミニカーに夢中でした。その中でもちょっと面白い色・形の車が好きでしたね。でも、思い返してみるとシルバニアファミリーも欲しかったんですよ。親には買ってもらえなかったですが。
例えばシルバニアはどちらかというと女児が持っていることが多い印象ですが、ご友人と遊ぶというときにギャップは感じませんでしたか?
ギャップを感じることはあまりありませんでした。お人形が好きになったのは、おそらく、母の影響です。母がトールペイントというスタイルの人形を作っていて、そういうのが身近だったので、お人形やミニチュアとかが好きだったんですよね。それがきっかけだと思います。その後小学校の低学年ではポケモンが好きになって、フィギュアを集めるようになりました。
例えば女の子で固まっている、男の子で固まっている、逆にごちゃ混ぜなど、性別ごとの遊び方をしてるわけではなく、自分の世界に没入していたのでしょうか?
かなり没入していたと思います。この頃、広島の自然の中にある幼稚園に通っていて、園庭に埋め込んであるタイヤの上を白雪姫の歌を歌いながら歩いたりして遊んでいました。思い返すと、キャラクターになりきって冒険していたのだと思います。
幼稚園では、プールの着替えが恥ずかしかった思い出があります。当時、着替えのときに仕切りが明確にはなかったんです。部屋は一緒で、棚かなにかで男女を分けていた気がします。 それで、着替える時に自分の下半身が見られるんじゃないかというのを気にしてました。なぜそう思ったのかわからないのですが、トイレへ行く時に隠すところだよという風に多分教えられていたからだと思います。 それが見られちゃうのは「いやだな」と恥ずかしく感じていたのかもしれません。ただ、他人のものを見たいという気持ちはなくて、向こう側にいる女子に見られているんじゃないかと異性を意識していたんだと思います。
ご両親から性別に関することでなにか言われたことや出来事で覚えていることはありますか?
親からの教育では、非常に自由に育ててもらいました。そのせいか僕はかなり頑固な子で、ちょっとでも親から怒られると拗ねてしまっていたんです。だから親からは「プライドが高い」とか「傷つきやすい」と言われていて、 それからは褒めて育てられるようになり、穏やかな性格になりました。だから僕は周りの人と喧嘩するとか言い合うみたいなのは苦手で、むしろ全部受け止めちゃう、真に受けちゃうんです。たとえ冗談だとしてもトゲのある言葉を真剣にとらえちゃって、その場で言い返せないけど後ですごいムカムカしてくる、みたいなことがあります。その気持ちがある程度強くなってくると、誰かに相談したり相手に正直に伝えたりするとか、なにかしら行動に移すようにしていました。そのスタイルは割と今でも同じです。ちゃんと気持ちを伝えたいと思っています。
転校をきっかけに「自分はみんなと違う」と感じていた海さん。見た目を揶揄されたりとコミュニケーションについて考えることが多かったであろう小学校時代のお話を伺いました。
小学生の頃にかけてじわじわと男性の方に寄っていますね
小学校1年生に広島から神奈川へ引っ越して転校したのですが、やっぱり転校するとこれまでと習慣や方言も違ってくるので周りとの違いが気になり、「自分はみんなと違うんだな」という意識が強くなりました。でもある種常識みたいなものを自分自身よくわかっていなくて、 周りのみんなもそれぞれ自分と違っているし、大人である先生もおもしろい人もいれば変わった先生もいる。自分のなかでは「普通の人」はいなくて「みんな変だな」とも感じていました。 さらに身体が成長してくると髪の毛がくるくるしてきて、それを揶揄してくる同級生がいたのでかなりいやな思いをしたんです。もともとシャイだったので、それに言い返すことができず、黙ったまま無視を貫いていました。小学5、6年生の頃にそういうことが多かったですね。
「周りと違う」と感じたとき、自分なりに心の対策を取りましたか?
いつも遊んでいた友人と揉めた時、超えては行けないラインを超えられたような気がして最終的に「絶交する」といって口を利かなくなったんです。今思うとちょっと極端ですが、自分を守ろうとしていたのかなと思います。人に合わせるのではなく自分を守ることを貫いていたから、こういう行動を取っていたのかなあと今になって思います。
あと、小学5年生くらいのときから親の影響でイギリスのロックバンド「クイーン」をよく聴いていたんです。特にドラマーのメンバーに惹かれました。今でも憧れの人物です。こういう好きな音楽やものごとに没頭していたので、周りとの違いで悩んでも、特に気にしないでいられたのかなと思います。ある意味、現実逃避していたのかもしれません。 ちなみにそのメンバーがある曲のMVで、女子高生の格好をしているのですが、それをみて純粋に「かわいい」と思い、僕もそうした女装のようなものをしてみたいという気持ちが湧いて、合唱部で不思議の国のアリス役の格好をして歌いました。しかし、そのドラマーのようには可愛くなれず、あっけなく女装への思いは砕けました。 フレディ・マーキュリーがバイセクシャルだということを通して、LGBTQ+の人たちを知ることもできましたね。
確かに自分が傷つかないように線引をしたり、好きなもので心を保つのは有効手段かもしれませんね。当時は同性の友達が多かったのでしょうか?
はい、同性が多かったですね。僕たちの遊びは公園で鬼ごっことか、携帯ゲームをすることが多かったのですが、多分異性の子はゲームとかにあまり混ざってこなかったと思います。それでも近所に住んでいる僕にちょっかい出してくる女の子がいて、ある時プロフィール帳みたいな紙を渡されたんです。気恥ずかしくて、頑張って書いたけど、その後それを渡したかどうかよく覚えていないです。同じ塾に通っている子で異性の友人もいましたが、だんだんお互い成長して交友関係は途絶えていきました。男女という性別を意識し始めたのかなと思います。
小学校6年生のときに恋愛感情に気付いたのでしょうか?
そうですね。小6の時に、気になる人がいました。でも別に気持ちを伝えることはなく、その日しゃべることができたというだけですごい舞い上がってた気がします。朝、家を出る前にテレビの星座占いで「今日は1位だからいいことがある!」そして「話せた!」みたいな。占いが当たってる!と思っていたそんな時期がありました。
同じ中学に上がってその気になる子はバスケ部に入ったんです。バスケ部は僕から見てもかっこいいなと思いました。背は高いし、ものごとをはっきり言うような感じで、「世の女の子はそういう人に憧れるんだろうな」と感じていたのですが、僕はスポーツが得意じゃないし、自分がそういう風になろうとは思っていなかったですね。一人称を「俺」と言うのも抵抗がありましたから。
それにはなにか理由があるのでしょうか?
小学生のときに「俺」と言ってる人と結構ぶつかることがあったんです。その影響で「俺、俺」と自分のことばかり言ってくる人は語調が強くなにか強引なイメージがあり、圧が強い・自分勝手だなと思うようになりました。「自分勝手になりたくない」という思いから一人称の「俺」に抵抗があったのかなと思います。
お話を聞いていて、海さんの中で「こういう人がモテるんだろうな」というイメージがあると思ったのですが、自分はそっち側に行けないのか、行かないのか、行きたいのか、行きたくないのかどのような心境でしたか?
そっち側にはいけないと思ったと思います。当時の僕が思うモテる条件は「運動能力が高い」、「背が高い」「物事をはっきり言う」だったのですが、自分は先程話したように「強引な人」にはなりたくないとも漠然と思っていたので、「モテる人像とは相反する。人にモテたいからといって、無理をして自分を変えることまではできない…」と思ったんです。「モテるのは諦めて、遠くから見ていよう…」と諦観してしまいました。
確かに「体育会系」という言葉の通り、運動部は海さんが苦手とする男性像が強い傾向が多いように感じます。自身の部活動はいかがでしたか?
ソフトテニス部に入っていたのですが、当時顧問に、声が小さかったことを理由に 「お前は女々しい」と言われたことがありました。運動部にありがちな掛け声が恥ずかしくて、試合中に相手になげかける煽りも、 ずっと「別に言わなくてもよくないか?」と思っていたんです。「どんどん声に出していこう」というカルチャーにはついていけなかったし、当時顧問から暴力的な態度をとられたことがあり、すごく怖い思いもしました。なんでこんなこと言われなきゃいけないんだろうという怒りを感じましたね。
その後「先生の態度はおかしいんじゃないか」と思って、部活をボイコットすることにしました。それが僕の意思表示でした。部活のなかまからは「なんで来ないの?」と言われましたが、「先生がおかしいからね。僕は別に間違ってないよ。」と意思を貫きました。これは幼少期からあった、僕の頑固さが理由だと思います。ボイコット後、先生から謝罪を受けることになって和解したのですが、もうテニス部で活動することに興味が持てなくなって、結局すぐにやめてしまいました。