interview

男らしい自分も女らしい自分も全部自分。ありのままの自分で歌っていく。

しむ
シンガーソングライター
2024.07.01

様々な恋愛を経て感じた痛みや辛さ、生きていく中で感じたこと、自らの経験をありのまま歌にしてリスナーに寄り添うしむさん。楽曲核となる彼の人間性はどうやって形成されたのでしょうか。

しむ/shim

しむ(しむ、1996年1月14日 - )は、日本のシンガーソングライター。香川県高松市出身。無所属。「楽しむ」「悲しむ」「愛しむ」など、人間の能動的な感情を表す単語の助詞についている”しむ” が気に入り、人の気持ちを歌う音楽家でありたいと考え命名。アコースティックギターでの弾き語りによるソロで、カバー曲のSNS投稿、オリジナル楽曲の配信、生ライブ演奏を中心に活動している。作詞作曲時名義は”shim960114”(読み方”しむ”)。昼職は美容クリニック勤務。

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ゆらぎのグラフ

振る舞ってきた性
性自認
性のゆらぎグラフ 1 2 3 4
  1. 小学生までは特に性を意識していなかった。中学生時代に男の子を好きになったことを自覚したが、周りからいじめやからかいの対象になってしまう。

  2. 中学時代と変わって、ありのままでいられた高校時代。音楽に没頭しバンドを組む。のちにシンガーソングライターになるきっかけとなった。進学先の大学で4年間の片思いを経て、SNSで性的嗜好を同じくする人との繋がりを求め始める。

  3. SNSでのさまざまな人との出会いと経験を音楽で表現する活動を始める。同じ性的嗜好の人相手でも、気持ちが女性的、男性的に揺らいでいた。

  4. 女性なのか男性なのかというよりも、「自分でいる」ことを大切にしている。30歳を目前に控え、同じく孤独感や不安と戦う同世代に向けた曲を作り続ける。

  1. 小学生までは特に性を意識していなかった。中学生時代に男の子を好きになったことを自覚したが、周りからいじめやからかいの対象になってしまう。

  2. 中学時代と変わって、ありのままでいられた高校時代。音楽に没頭しバンドを組む。のちにシンガーソングライターになるきっかけとなった。進学先の大学で4年間の片思いを経て、SNSで性的嗜好を同じくする人との繋がりを求め始める。

  3. SNSでのさまざまな人との出会いと経験を音楽で表現する活動を始める。同じ性的嗜好の人相手でも、気持ちが女性的、男性的に揺らいでいた。

  4. 女性なのか男性なのかというよりも、「自分でいる」ことを大切にしている。30歳を目前に控え、同じく孤独感や不安と戦う同世代に向けた曲を作り続ける。

INDEX
  1. 思春期と性、いじめと恋。
  2. 恋愛と苦悩の大学時代、新たなコミュニティへ
  3. ゆらぎをSongwritingで昇華
  4. ”焦がれるサーティ”が歌うわけ
振る舞ってきた性
性自認

1章 思春期と性、いじめと恋。

小学生までは男性女性を意識していなかったしむさん。男性を好きになった中学生時代について教えてもらいました。

7歳までは男性性に振れているんですね

子どもの頃はオトコ・オンナとかは特に意識してなかったと思います。ごくごく普通の男子小学生でした。ただ、鬼ごっことかドッヂボールとかがめっぽう弱いから嫌いで、いわゆる外で遊ぶってよりは、家で遊ぶ方が好きで、内気な子でした。

当時、何かハマっていたものはありましたか?

車がすごく好きでした。どちらかというと(一般的には)男性の趣味ですかね。親がデカくてかっこいい車に乗っていたこともあってか車が好きになって、クリスマスプレゼントにラジコンをねだったり、車の雑誌を毎月買って読んだりしていました。今もランクル(※トヨタ ランドクルーザー)とかゴツい車のオーナーになって乗り回すのがちょっとした大人の夢です。

友達は、男友達、女友達どちらが多かったですか?

男の子女の子どちらかとばかりつるむというよりは、男女関係なく関わるしかなかったですね。そもそも子どもが40人くらいしかいない小さな田舎で生まれ育って、そこが全てだったから。

その頃、特に好きな人とかはいましたか?

小学生の時は女の子が好きだった記憶があります。自分の悪い癖で、好きな子の真似をしちゃうから、周りにバレバレだったんですよね。例えば、好きなその子が給食のおかわりをしたら、自分もおかわりするみたいな。周りによくからかわれていました。

ということは、小学生までは生まれた男性性に特に違和感なく暮らしていたということですね。

はい。小学生までは特に何も考えることなく、もうごくごく自然と幼少期を過ごしていました。

そこから14歳にかけて一気に女性的な方に線が触れていきますが、ここは何か出来事があったのでしょうか。

好きな男の子ができたのが大きかったですかね。それを自覚し始めたのは中1・中2ぐらいの時かな。吹奏楽部の同級生でした。小学生時代同様、わかりやすかったので周りにやっぱりバレましたけど。

その人が好きで吹奏楽(音楽)を始めたんですか?

それは違いますね。部活が運動系と美術部、吹奏楽部しかなくてそこから消去法で決めたんです。自分が運動音痴なことは小学生の時から自覚してて、50m走も12秒とかだったし、運動部は無理だなと思って。そうなると美術部か吹奏楽部の二択になるんですけど、自分、人の絵を描くと首から手が出てきちゃうくらい絵心もないんです。そうなると自然に吹奏楽部しかないなって感じでした。あとは、田舎の繋がりで、近所のおばさんのピアノ教室に通わされていたので、音楽自体に馴染みはありましたね。

好きな人と同じ吹奏楽部で青春を謳歌できた感じですか?

全然。自分がクラスでいじめを受けていて大変でした。田舎あるあるかもしれないんですけど、思春期の早い段階から下品な用途として性的な言葉をみんな知るようになって、それらの言葉を覚えて、からかいに使い始めるんですよ。自分の体の成長が周りより少し早かったことと内気な性格、そして男の子への恋からか、性的指向含め性的なことでいじられることが多かったです。”オネェ”(※女性らしい格好や仕草を好むゲイ)とか呼ばれて、自分は他の人と違うんだなって感じました。

それは辛いですね。でも外見は割と男性寄りだったんですね。

そうですね。当時はまだ多様性とかも浸透しておらず”男性に恋する男性=オネェ”としてからかわれることが多い時代でした。だからといって外見もオネェっぽくして開き直れるかといったらそんなこともできなかったし、そもそも男性に恋する人全員がオネェキャラになるわけでもないので、見た目は全くもって普通の男子中学生でした。

あと、この頃の自分は割と学校の勉強を頑張っていて、テストの順位が常に1位2位みたいな、いわゆる優等生だったんですよ。そういう子っていじめるターゲットにされやすくないですか?その頃は自分の性自認とか、性の自己表現について悩む以前に、普通にいじめやからかいがキツかったのでそれ以外のことはあまり考えられていなかったですね。

男性を好きになった理由は何かあるんですか?

いじめやからかわれる環境下でそれに関係なく、自分の好きなものに共感してくれて、互いに共有しあうっていう愛しい経験を初めて味わえた相手が男の子だったからかもしれないです。

中学に入ってから、通っていた塾の先生の勧めで聴いた椎名林檎の音楽に狂うほどハマっていたんですけど、少し経って椎名林檎が出演したガムのCMとその中で流れる東京事変の楽曲が世間一般で流行りはじめたんです。 その時とある男の子が、CMの曲がすごく好きだということを自分に伝えてくれて。それから互いの好きなCDとかを貸しあったり、バンドスコアを買って共有しあったりしました。彼が好んで聴いていたスピッツなんかはおかげさまで僕もすっかりファンです。

こういう自分の好きなことを共有できて繋がり合えた=自分のことを肯定的に見てくれた経験を思春期に初めてできた相手が男の子だったことが、男性を好きになった一つの起因かもしれないですね。

2章 恋愛と苦悩の大学時代、新たなコミュニティへ

大学生時代に4年間の片思いを経て、自ら価値観の合う相手を探すようになったしむさん。その背景を教えてもらいました。

中学を卒業して、どのような高校生活を送っていたのでしょうか。

中学の成績のおかげで県内有数の進学校に入れて、1学年300人ぐらいいる高校で学生生活を送っていました。高校には、僕より真面目な子とか、頭が良すぎてどんな会話にも面白く返せる子とか、おしとやかな子とか、スポーツすごく頑張ってる子とか、そして僕みたいにロック音楽が好きな子もいて、とにかく地元とは違っていろんな人がいたんです。こういった環境は中学までとは大きく違って、いじめられることなく馴染めるようになりました。

その一方で、人生で初めてギターを買ってバンドを始めて、ギターが楽しい歌が楽しいとなっている頃でもありました。4人組のバンドで3年間、ゆるくバンド活動をやっていて、BUMP OF CHICKENのコピーをやったらものすごくウケまして、女の子からもアイドルって呼ばれたり、他校のバンドマンとも仲間になれてすごい褒めてくれたりと、それはもう嬉しかったですね。中学の頃とは違って自分を認めてくれる人がどんどん増えていって、このタイミングで自分に対する価値観がかなり変わりました。

男の子が恋愛対象なのは変わらなかったけれど、それが高校生活の足枷になるようなことはあまりなかったように感じます。ありのままの自分を認めてくれる環境がそこにあって、とにかく楽しかったですね。

そこから大学生の頃は一気に女性性になっていますね。

そうなった要因として一番大きかったのは、4年間たったひとりのストレートの男性に恋をしていたことですね。本当に色々あったんですが、実らずに終わりました。相手はストレートなので当たり前ですけど女性を恋愛対象としていたので、やっぱり恋していると自分のことを見てほしいと無意識に思ってしまうもので、自分の外にだす言動も自然と女性寄りになっていきました。

すると本人はもちろん周りの人も自分の想いに気づいて、片思いの相手に自分が変なことをしないか白い目で見ていたのをなんとなく感じて、ものすごくしんどかった記憶があります。ただ、本人に告白した時は”周りがなんと言おうと俺はお前と友達やから”と言ってくれた時は救われましたね。

そうだったんですね。4年間は長い恋でしたね。

はい。でも、この恋をきっかけに色々思ったんですよ。ストレートの男性のコミュニティに生きて、恋をするのはしんどい。今回は運良く最後に救われましたけど、そこに辿り着くまでがとにかくしんどかったので、もうこんな思いはしたくないなって。 そんな時にどうやったら同じ性的指向の人と出会えて報われる恋愛ができるのかなと思ってTwitter(※現 X)を見ていたら、プロフィールに”H8”とか”H7”(※平成何年に生まれたか)って書いてある方はゲイであることが多く、同じ性的指向の方と繋がりを求めているアカウントだと気づいたんです。

そういう表記をすると繋がりやすいと知ったきっかけは何だったのですか?

確か Twitter で”ゲイ”とかそういった単語をサーチしたような気がします。するとハッシュタグをつけて自撮りをしている人の画像とかが出てくるんですけど、イケメンだなと思ってプロフィール画面に飛んだら”H7”って表記があって。だから、自分もアカウントを作ってそういう表記をつけて自撮りを載せてみたら、同じゲイの方との繋がりが少しずつできるようになりました。

このアカウントでこれから色々なゲイの方と仲良くなれるかも、そして誰かと付き合えるかもと思って少し前向きになれた時期でした。ストレートの男性に4年間恋したことをきっかけに自分自身のことを見つめ直すことができて、もうかなり振り切れたかなと思いますね。

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