interview

夢見た東京進出。女装家として生きていくための選択。

宮沢まい
女装家
2023.11.01
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宮沢まい/Miyasawa Mai

1995年、愛知県生まれ。幼いころに女装に憧れをもち、大学生の時に進学と共に上京。新宿二丁目のコミュニテイやSNSを通して仲間を増やしていく。現在は会社員として働きながらTwitter4万人フォロワーの女装界インフルエンサーとして活躍。

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ゆらぎのグラフ

振る舞ってきた性
性自認
性のゆらぎグラフ 1 2 3 4 5
  1. 7歳くらいまでは特に性を意識していなかった。小2の時に幼馴染の女の子と仲が良かったが、その時も友達以上に感情がなかった。

  2. 小4の時に母親のレディース服が気になり、不思議な気持ちを抱いた。しかし親も厳しく、古い考えの人だったので、自我は出せなかったので普通に男をしていた。

  3. 心には女性的なものに惹かれつつも、都会ではないし、周りの目も人一倍気にするタイプだったので求められるように男をしていた。長男ということもあり、押し殺していた。高3までそのカタチを貫いた。

  4. 田舎から東京に行きたいと思っており、その為に勉強して大学にいった。しがらみ、親から離れ、自分でレディースを着て二丁目に行くようになった。でも大学の人にはカミングアウトはしなかった。メンズの時もこの頃には中性的に近づいた。

  5. 仕事も男性として働き、週末は好きな格好をして過ごしている。体も大きくて、今更女性として生きていくつもりはない。今を受け入れて生きることにしている。性的の部分はどちらでも良いが、やや女性的だと思う。

  1. 7歳くらいまでは特に性を意識していなかった。小2の時に幼馴染の女の子と仲が良かったが、その時も友達以上に感情がなかった。

  2. 小4の時に母親のレディース服が気になり、不思議な気持ちを抱いた。しかし親も厳しく、古い考えの人だったので、自我は出せなかったので普通に男をしていた。

  3. 心には女性的なものに惹かれつつも、都会ではないし、周りの目も人一倍気にするタイプだったので求められるように男をしていた。長男ということもあり、押し殺していた。高3までそのカタチを貫いた。

  4. 田舎から東京に行きたいと思っており、その為に勉強して大学にいった。しがらみ、親から離れ、自分でレディースを着て二丁目に行くようになった。でも大学の人にはカミングアウトはしなかった。メンズの時もこの頃には中性的に近づいた。

  5. 仕事も男性として働き、週末は好きな格好をして過ごしている。体も大きくて、今更女性として生きていくつもりはない。今を受け入れて生きることにしている。性的の部分はどちらでも良いが、やや女性的だと思う。

INDEX
  1. 母親の服が気になった少年時代
  2. 女装願望をあまり意識しなかった学生時代
  3. 女装への想いを再認識した浪人時代と東京進出
  4. 社会人として、女装家として
  5. 未来の女装家へ
振る舞ってきた性
性自認

1章 母親の服が気になった少年時代

少年時代から女装に興味があったと語るまいさん。女性性に興味を持った経緯とまいさんの少年時代について教えてもらいました。

幼少期はどのような子供だったか覚えていますか?

幼少期は本当にぼーっとしていた子だったのであまり記憶がないのですが、女性への憧れはぼんやりと持っていましたね。例えば、小説の“黒魔女さんが通る”が好きでした。普通の女の子が魔女見習いになる話なんですけど、そういうのに感情移入しちゃって。あれも自分とは違う何かになるっていう点では女装に通じていて、何かしらの変身願望があったのかもしれませんね。

グラフでは7歳から急に”女性性”にふれていますが、女装自体に興味を持ったのはこの頃でしょうか?

その通りです。最初に女装を意識したのは小学4年生くらいですかね。母親の服が気になったのがきっかけです。そこからやってみたいという気持ちはあったのですが、親が厳しくてそういうのは受け入れられないということは分かっていたので、自分の自我を出さずに普通に過ごしていました。

では、そのころから女装できない現実に悶々としていたのでしょうか?

それが実はあまりなかったんです。女性の服いいなあと感じつつも特に違和感もなく、当時は主体性すらない子だったので、周りに求められる通りに過ごしていました。というか、そこまで強く思わなかったのかもしれません。今を考えると想像できないくらい、いわゆるおとなしいタイプでしたね。でも根本的な変身願望があったので、中学校に入る時に一念発起して、学級委員長など表舞台に率先して立つようになるんです。そこが人生において初めの転換期になります。

2章 女装願望をあまり意識しなかった学生時代

幼少期から女装が気になっていたまいさんですが、意外にも学生時代は女装願望から離れていたようです。それにはまいさんの家庭や学校での環境の背景がありました。

いきなり学級委員長になったきっかけは何かあったのでしょうか?

最初は父親に『高校入試は内申点があるから、学級委員長になれ。』と言われたのがきっかけでした。それ以降は成功体験を積んだり、周りからも積極的なタイプなんだと思われるようになったりして、徐々に人の前に立つようなこともやりやすくなっていきました。また、自分の意見を持って、それを発信することもできるようになりました。学校の人間関係では、男女問わず分け隔てなく接していたため、友達は男女共に多くて、どちらとも仲がよかったですね。女性への憧れはありましたが、男子と会話が合わないことはなく、友達関係でで悩んだことは特にありませんでした。

女装に対する想いはその頃は抑えていたのでしょうか?

中高は女装への想いを思い起こさないほど他のことで精一杯でした。日常は部活と勉強がほとんどをしめていて、女装なんて考える隙がないほど。家でも父親が厳しかったので情報が遮断されていて、いわゆる流行りのドラマやアニメなんかは見れないし、そういった状況だったので、幸か不幸か、女装ができないことに違和感すら感じていませんでした。

ただ、ちょっとずつ調べたりはしていて、例えば、家に家族がいないときに家のパソコンで女装のことを検索していました。当時はSNSもないし、女装をしている人の画像はそんなに見ることができなくて、女装のイラストとかは多かったのでそういうのを見ていました。その頃はまだ現実味がなく、空想の領域でしたが、子供ながらにこれはいいなと思いを馳せていました。

中高はそんな感じで、そういったことを話せる人もいないし、学校でも部活でも家でも求められている自分を演じて達成することが変身しているような気になっていて、それだけで十分満足感を覚えていました。

そこから女装の道へ進むようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

高3ぐらいまで同じような状況が続きました。気になりつつも認めたくなくて押し殺していた時期もありました。無理やり女の子と付き合うことで『違うぞ、自分は普通の人間なんだ』って思い込ませたり。でもそんなことをしても自分が女装に惹かれている気持ちはどうやら嘘じゃないなって気づいて、そこから新宿二丁目(以下、二丁目)のある東京に行きたいなと思うようになりました。そのためだけに勉強して東京の大学への進学を志望するようになりました。第一志望は二丁目でした。

二丁目を意識したきっかけはあったのでしょうか?

ちょうど高校生時代に普及し始めたSNSですね。自分が揺らいでた10年前にちょうど女装界隈でもSNSが普及し始めてかなりイベントなどが盛り上がっていた時期なんです。今はもうなくなってしまったのですが、“女装プロパガンダ”という、大人気の女装のイベントがあって、YouTubeで毎月決まるNO.1ガールのインタビューを配信してたんです。それを田舎から見ていて、『絶対に二丁目に行くんだ!』って思うきっかけになりました。これがなかったらまだ田舎で暮らしていたかもしれませんね。

悩んでいた時期は自分を責めることがあったのでしょうか?

それはよく思ってました、はっきりしてくれ!と、社会じゃなくて自分に対して。自分の不運さに対して。身体も180㎝もあって男性的で大きいし、女装には向いてないので。でも、こんな体型だけど頑張って努力して女装してるからいいねって言ってくれる人も多くて。だから、今はそれも受け入れて楽しくやれてます。

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