ブランディングとビジュアルコミュニケーションを専門に、社会とビジネスの両方を動かすデザインを実践するデザイナー。CI開発やロゴ制作、映像編集、Web制作など幅広い領域を手がけ、戦略から実装まで一貫したクリエイティブを提供している。ジェンダー、フェミニズム、教育といった社会性のあるテーマを「伝わるかたち」に翻訳することを得意とし、現在はフリーランスとして複数企業のブランド支援に携わっている。
instagram男児向けの遊びやアニメに夢中になり、自身を男子と認識していた幼少期。幼稚園入園を機に性別を自覚し、ギャップを感じる。
女子校に進学し、性別ではない自分の個性を認識したものの女性性の押し付けに悩んだ思春期。
インターンなどを通して自分自身のやりたいことを模索していた時期。教育業界からメディア業界へ移り、フェミニズムに出会う。
女性として生きることに違和感はないものの、女性としての役割を受け入れられるかということに悩みながら生きている。
当事者だけの勇気や努力に頼らない世界を作るために必要なこと
おままごとや人形遊びが苦手だったさえさん。自分のことを男の子と考えていたほどでしたが、幼稚園への入園を機に『性別』を意識し始め、自身の認識、周りの認識、体の成長を通してギャップを感じ始めます。
グラフを拝見して思ったのですが、大体皆さん真ん中から始まるので、異性の性別から始まるパターンは初めてかと思います。
物心ついた時、自分は男の子だと思っていたんです。兄がいるので遊びもポケモンや遊戯王を楽しんでいて、そのまま男の子として過ごしていたんですが、幼稚園に入って制服で明確に性別が別れた際に『あれ?自分は男の子じゃない?』と思ったんです。
例えばリカちゃん人形のような女児向けのおもちゃや服などは接点がなかったのでしょうか?
当時の私はものすごくこだわりが強い子だったようで、自分で決めたものしか着なかったんです。また、兄がいたおかげでただ兄が好きな妹という印象で済まされてた気はします。幼少期からプリンセスなどには興味がなくて。アクション系が好きで、ウルトラマンも好きでしたね。戦隊モノも青か黒か赤が好きで、自分も赤レンジャーになると思ってたんですよ。女の子とも遊んではいましたが、世界で1番嫌いなことはおままごとでした。リカちゃん人形とおままごととシール交換の楽しさがわからなくて。でも、荒波を生んだり孤立するのは嫌だったので、当時女の子の間で流行っていたミニモニパソコンをわざわざ買ってもらって、無理やり合わせていました。(笑)
その時は、『本当はポケモンしたいのにな』というような不満はなかったですか?
ありました。1番楽しかったのが、家で兄と遊ぶレゴや、ポケモンカードだったので、早く帰って遊びたいなと思っていました。女児向けの遊びは『みんなやっているからやる』という感覚に近かったです。歯は磨かないといけないんだ、じゃあ磨こうという感じですね。争いは嫌いだったので、そこは従順でした。
その後さらに振る舞いは男性に寄っていきますね。でも、自認は女性に寄っているようです。
そうですね。幼稚園に就学してから、女の子の制服はスカートだったり、女の子・男の子で分けられていて、幼稚園の時から『性別の役割』が定められていたんですよね。なので『女の子として生きないといけないんだな』と自覚したという感じでした。その一方で、『女の子なのに』、『女の子だから』の制限を幼いながらに感じてしまって、『なんで私は女の子なんだろう?赤レンジャーになりたいのに』と現実を受け入れられない部分もあったんです。なので多少は抵抗していました。男の子の格好をするわけではないけれど、スカートは履かなかったり、スカートを履くとなってもタイツで完全防備したりしていました。小学校に上がってもズボンばかり履いていましたし、身の回りのものも黒やブルーばかりでした。小学生後半は体の発達が始まる時で、プールの授業などはすごく嫌悪感があって、男の子っぽさが強まっていった時期でした。
趣味嗜好の部分だけではなく身体的な部分に関しても女性であることが嫌だなと感じていたということでしょうか?当時は悩みもありましたか?
すごく悩んでいました。体の変化が受け入れられず、でも周りは少しづつ変化に合わせたコミュニケーションを取ってくるし、周りの目も気になりました。『なんで男の子に生まれなかったんだろう』と毎晩泣いていました。
それは辛いですよね。その当時は誰かに相談したりしましたか?
両親はわかっていたとは思います。でも、両親は励ましたりアドバイスをするというよりは、『女の子としての喜び』というようなことを伝えてくれていたと思います。ちょうど受験も被っていた時期で、1人で殻にこもり始めた時期でした。小学校の卒業アルバムで、よく『生まれ変わったら何になりたい?』というような質問があるじゃないですか。私はそこの『男の子になりたい』と書いたぐらいには悩んでいました。
中学で女子校に進学したさえさん。性別の差を意識することがなくなり、自分に向き合えるようになりますが、思春期という時期やある出来事から再び大きく悩むことになります。
そこから打って変わってどんどん女性側に遷移していきますね。
体の発達が来たあたりから、もう完全に女の子になるしかなかったんです。回避できないと思って、もう諦めたというタイミングでした。ただ中学で女子校に進学したことで転機があったんです。女子だらけの環境の女子は異性がいる環境の女子と違っていたんです。今までは異性がいるから自分の中で比較が起こっていて、男女という役割がすごくシビアに突きつけられている感じがしてかなりショックを受けていたんですが、女子校に入ったら全員が平等になったんです。女子しかいない中で役割を決めていくので、初めて自分の個性を知ることができたというか、向き合えた気がしたんです。男の子のように振る舞わなくても、認められる自分というものがあるんじゃないかなと模索し始めて、グラフのように統合できていたような気はしています。
性別という土俵から降りるわけではないけれど、その土俵が平等だったときに初めて性別というラベルを外して『自分は自分である』ということに気づけたという感じでしょうか。
そうですね。スカートの下にジャージを履いている子もいましたし、ジャンプやポケモンみたいないわゆる『男っぽいと分類されがちなもの』が好きな子もいました。女の子 / 男の子向きという趣味嗜好に分別はあまりなく、『自分が好きなものを推す』という感覚でした。当時、私はももいろクローバーZが好きだったのですが、佐々木彩夏さんを通して、「女の子」のラベルから解放されたカラーとしてピンクって可愛いじゃん!と思えたんです。
ただ、一瞬楽になったのですが、その後思春期を迎えた男性からの目というものが待ち構えていたんです。高校生になった時に、男子校との交流もあったんですが、思春期の男子高校生なので、いつも下ネタや性的な話題が上がっていました。否が応でもそれを聞くので、女性が搾取されているような感じがすごくあって、また悩み始めました。加えて、塾や電車で痴漢に遭うようになって、身体的にも女性性を受け入れるのがしんどい時期がありました。でも、女性として生きたいとは思っていたし、その時は女性の体として生まれたことも大事にしたいと思ってたので、自認や振る舞いが男性寄りになることはなかったですが、悶々としていました。
モヤモヤしている時や、悩んでる時はどう対処してますか?
私はノートに書き出します。今の自分の感情と、何について1番モヤモヤしているのかという根源をマインドマップ(※思考プロセスを可視化する手法。普段脳内では様々事を連想しながら思考しており、それを描き出すことによって脳内整理に役立つ。)とロジックツリー(※1つの物事に含まれる要素を階層式に細分化するフレームワークで、さまざまな課題の全体像を把握して解決策や意思決定を促す論理的思考法。)で分析して処理して、冷静に受け止めて何かできないかを考えます。外に相談はあまりしないですね。外に正解がないと思っている節はあります。例えば親も男女の概念しか頭にインストールされていないとした時に、結局その概念を強制される感覚になってしまうじゃないですか。なので、多分親に話すのは無理だし、先生も似たような部分があるし、マジョリティの友人にも相談するのは難しいですよね。そうすると自分で考えるしかないなと思っています。
確かにそもそも悩みを理解していない人に相談することは難しいですよね。マインドマップやロジックツリーという具体策も出てきましたが、その対処にたどり着いたきっかけは何だったのでしょうか?
私、高校のときに不登校になったんです。中学では女子校を通して一時的に性別によるロール(役割)から開放されたのですが、その中でも女性からの女性性の押し付けというか、圧のようなものもあって、積み重なって全部嫌になってしまったんです。その時にカウンセリングを受けていて、自分の感情の整理の仕方などを教わりました。そこで初めて親や先生ではない大人に理解してもらえた気もしましたね。『世の中、世界はここだけじゃないんだ』というような感覚になりましたし、客観的という概念を知ることはできたと思いました。