ブランディングとビジュアルコミュニケーションを専門に、社会とビジネスの両方を動かすデザインを実践するデザイナー。CI開発やロゴ制作、映像編集、Web制作など幅広い領域を手がけ、戦略から実装まで一貫したクリエイティブを提供している。ジェンダー、フェミニズム、教育といった社会性のあるテーマを「伝わるかたち」に翻訳することを得意とし、現在はフリーランスとして複数企業のブランド支援に携わっている。
instagram男児向けの遊びやアニメに夢中になり、自身を男子と認識していた幼少期。幼稚園入園を機に性別を自覚し、ギャップを感じる。
女子校に進学し、性別ではない自分の個性を認識したものの女性性の押し付けに悩んだ思春期。
インターンなどを通して自分自身のやりたいことを模索していた時期。教育業界からメディア業界へ移り、フェミニズムに出会う。
女性として生きることに違和感はないものの、女性としての役割を受け入れられるかということに悩みながら生きている。
当事者だけの勇気や努力に頼らない世界を作るために必要なこと
高校卒業後大学の進学を断念したさえさん。悩んできた過去の経験から教育系の会社で積極的にインターンを始め、やりたいことの礎を作っていきました。
そこから、社会人になられたんですか?
そうですね。うちの高校は大学までエスカレーター式の学校だったんですけど、不登校になって推薦が取り消されてしまい、大学に進学できなかったんです。うちは薬剤師の家系で、薬学部に進学予定だったんですが、もちろんそれもなくなり、自分が何を学びたいのか見つけたくて、何をしようかとギャップイヤーのような感じで、1回東京へ出てきたという背景があります。そこで自分がやりたいことに向き合って、フェミニズムに出会いました。この時期は迷走期でもあり、探索期でもある時期でした。
薬学部の家系でありながら進学を断念した時、ご両親の反応はどうだったんでしょうか。
紆余曲折あって、両親の理解は得られたのですが、祖父は残念がっていたと思います。自分の家系は、女性の立ち位置が強く、薬剤師として手に職をつけて女性も経済的に自立して生きていけるようなキャリア形成をしていくという教えでした。逆にそれが強すぎるあまり、女性は手に職をつけたり、免許がないと生きられないという価値観もあったんです。私は元々クリエイティブなことが好きなんですが、それでは女は社会に出た時に生きられないからと、薬剤師をずっと勧められてきました。だからこの時期は私の中でそのプレッシャーがなくなったことにホッとした気持ちと、幻滅されただろうなという気持ちが混ざって、がくっと病んでしまいました。祖父も、私が路頭に迷ってしまうと心配してか、女はそんなクリエイティブでは生きられないと思っていたんじゃないでしょうか。
お祖父様のお考えは時代背景もあったのかもしれないですね。
そうですね、多分祖父の時代は特に、女性がクリエイティブな仕事で生きていくようなことも少なかったと思います。薬学部は女が生きるのにいい道だぞ、という感じだったので、それを捨てたのはもったいないなとすごく言われた1年間でした。なので最初は家族に理解してもらうのにものすごく時間かかりましたね。
ご家族への理解は対話を重ねていったんですか?
それもそうですが、私が自分のやりたい道を見つけたというのも大きかったです。あと、フェミニズムを学び始めたことで、今の社会がどうなっていて、この価値観は家族の主観であるという話をちゃんと言えるようになったことが大きかったかもしれません。それまでは何の知識もなかったので、一般的にどうかという話が全くできなくて。家庭という狭いコミュニティの中だと、自分の中でも『正解は明らかに薬学部に進学すること』になっていたので、反論できないでいました。自分の意見というよりも、社会の一般的な概念やこういうこともできるという証明のようなことができるようになってきてから、だんだん考えに整理がついてきました。
ご家族への理解を求める時も、自分の思いや知識がちゃんとある上で会話する方が建設的かもしれませんね。
そうですね。主張したいことを自分も用意できないときは、相手に何も返せないんですよ。納得していなくても受け入れるしかないというか。そりゃ薬学部に進学して薬剤師になったら安泰だし、仕事はしばらくはなくならないだろうと考えたら、そっちの方が有利という主張は通ってしまうので。
高校卒業後はどのようなことをしていましたか?
ジェンダーギャップに基づく生きづらさが大きかったのもあって、1番最初にたどり着いたのが、教育問題でした。私自身の原体験として、多様な価値観を学校という狭いコミュニティの中では知り得なかったというのがすごく辛かったので、なるべく教育の中に組み込まれていて欲しいという想いから、色々教育のことを調べていきました。そこでまず最初にインターンを始めようと思ったんです。私の中で大学へ行く意味は学ぶことだと思っていたので、大学生という肩書きには興味がなく、何を学べるのかが重要だと思っていました。当時は薬学部以外で何について深めたいのか見出せてなかった状態だったので、先にインターンをしちゃおうと思って、手当たり次第に教育系の事業を調べて、インターンできそうで面白そうなところをあたってみました。
そこで、1つたどり着いたのが、出張授業という形で、学校に備わっているカリキュラム以外に、企業が学校へ色々な価値観やスキルを学べる機会を提供する仕組みだったんです。高校を卒業してから、1、2年間ぐらい、そういったサービスを扱っている企業でインターンをさせてもらいつつ、学校の先生などとも直接関わりを持ちながらがら、生徒ではない視点で教育現場の現状も学びました。
この時は学校のどこからアプローチして、自分が何をすれば解決できるのかを探っていた時期でした。でもその後結局分かったことが、なかなか1回の出張授業だけでは変わらないという事です。出張授業の間は生徒たちがクリエイティビティ溢れる意見を出してくれるんですけど、その後に先生が教育しなおしてしまったり、正解を強制してしまうというのが課題だと感じていました。そう思った時に、やはり学校の中だけで解決するのは無理だと思ったので、次に着目したのが一人一人のスマホから変化を促せるメディアの力でした。
当時、動画コンテンツ自体がまだ珍しかったタイミングで、とあるメディアを扱う企業が、最前線で若者に多様な価値観を伝えるコンテンツを発信していたんです。その企業が出資して女性の生き方に焦点を当てたエンパワーメントメディアが立ち上がったことを知って、これは私にピッタリだと思って門を叩き、インターンをさせてもらいました。仕事内容も自分にフィットしたので、以降ずっとお仕事させてもらうことになりました。
フェミニズム(※女性に対する差別や不平等の解消を主張する考え方)に出会ったきっかけですね。
そうですね。当時は自分がまだ女性であることを完全に受け入れられてなかったので、教育業界からメディア業界へ移り、自分らしく生きることを提案しているメディアにを探して自分が行き着いたのが女性が自分らしく生きることを推進しているメディアでした。
さまざまな状況や人との縁もありながら、今はフリーで仕事をやっています。メディア時代に培ったスキルや経験も活かしながら、ジェンダー、フェミニズム、教育といった領域で事業を行う企業やプロジェクトを中心に、複数企業のブランド支援に携わっています。今の肩書きはデザイナーではあるのですが、sns運用などそういうこともやっています。
まだ高校卒業後の若い時期に薬剤師の道に価値を感じながらも他者のために別の道から自分を開拓できることがすごいと思います。こういう利他的な行動は自分の苦しかった経験からくるものなのでしょうか?
確かに言われてみたら、私は昔からずっとそうなんだと思います。自分よりも周りの人の状況を気にしているというか。1人ぼっちになっている子がいたら気になってしょうがないタイプで、ずっとそれで生きてきて今があるのでナチュラルにそういう性分なんだろうと思います。自分の苦しみでずっと悩むよりは、同じように苦しんでいる子はきっと他にも多分いるから助けなきゃという考えになりますね。
自分の内在的な問題を解決したいと思いつつも誰かを助けたいという気持ちの方が大きいのでしょうか?
言われてみればそういった気持ちの方が大きいと思います。昔、いじめられたこともあったんですが、いじめられた悲しみも寝たら忘れるんです。1日単位でリセットされる部分もあって。加えて問題解決は比較的得意な方で。だから普通の人よりはタフなのかもしれないですね。
日常に潜むモヤモヤから身を守るには知識を得ることと、自己理解を深めることと語るさえさん。これまでにあったモヤモヤとその解消法を綴っていただきました。
今まで紆余曲折ある中で自認と振る舞いに違和感を感じたことはありますか?
それで言うと、24歳ぐらいの時までは結局まだ女性というラベルに苦しみながら生きていました。バリバリ外に出て仕事をしていたら、よく男の人から、『俺、自立した女性好きなんだよね』ということを言われることが多くて、結局自己の確立でさえも男性の欲望の中に消費されている。それにうんざりし始めていました。これまでたくさん挑戦したから、やっと自由に私らしく生きれると思ったのに、またそっちに押し付けられるんだという違和感を感じていましたね。
『LEAN IN 女性、仕事、リーダーへの意欲』というシェリル・サンドバーグさんの本にもあるんですけど、家事も育児も完璧にこなし、さらに仕事も成功させる、そんなスーパーママは神話であり、現実的に不可能である。でも、世間の男はそんな『自立した・完璧な』女性を求めていたりする。そんな現実に直面し、結構げんなりしていました。さらに30歳手前になったら、今度は出産ありきのお付き合いを求められるんじゃないかと不安に思っています。出産は女性にしか出来ないことではあるけれど、それを女性としての役割として受け入れられるのかどうかでいうと、違うと思っているし、悶々としています。卵子を凍結を考えた方がいいのかと思いつつ、私は自分の子供を持ちたいんだろうか?などと考えてしまいますね。
出産というのは常に女性が考えている問題かもしれないですね。自身を女性と認識している人でも女性性を受け入れられない一例としてあると思います。
ライフステージが変わるごとに、新しい問いを突きつけられる。しかも社会はなかなか変わっていかないので、いつまでもスッキリはしないですね。すごく反発したり、悩んだりしているわけではないけれど、まだ、完全には女性性を受け入れられていない気がしています。
ずっと脳裏にあるのが、男性だったらこの悩みって発生してないんだろうなということが、ついちらついてしまって抗えない不平等さを感じます。でも、それを闇雲に主張するのも違うと思っているし、私は女性として誇りを感じて生きたいと思って生きています。
幼少期は黒やブルーが好きで、男の子寄りの嗜好だったとおっしゃっていましたが、今のさえさんの第一印象では女性らしさを感じます。今は女性らしいものも違和感なく受け入れることができているのでしょうか?
中学2、3年ぐらいに自分はフリルが好きだと自覚した時があるんです。フリフリしたものや、ガーリーなものが好きなんだと気づきました。女子校に入ったことで自己理解と自分自身を語る術を身につけられるようになったのだと思います。周りから『さえちゃんっていつもピンクだよね』と言われた時に、そこに対して『女性=ピンク』という刷り込みを自分の中で咀嚼し消化できた気がしました。これは単純に私がピンクが好きなだけであって、全女性がピンクが好きなわけではない、と自分の中で自己理解が進んだことで、他者からの主観的な意見との線引きができるようになっていったから、『かわいらしい』も安心して身につけていられます。
それまでは私がスカート履いてたり、ワンピースを着ていると周りから『今日デートでも行くの?』と言われて、『別になんでもない時もワンピース着るよ』ということすら怖くて言えなかった時期がありました。ワンピースを着ているから今日はデートに行くんだなと勝手に片付けられて消費されていることが嫌すぎてワンピースはもう着られないなと思ったんですよ。自分も主張できないし自分を守ることができませんでした。でも今はワンピース着ていて『今日どこかお出かけ?』と聞かれても、『女友達とご飯行くんだ』とポジティブに返せたり、ちゃんと『違うよ』と主張をできるようになったのもあって、安心できる盾を手に入れたんじゃないかなと思っています。
自分で納得し言語化することで他者とのズレが起こったとしても柔軟に対応できるんですね。自己理解や、知識を身につけていくことがすごく大事なことだと思います。
本当は多分、みんながそれをきちんと学んでいくのが大事だと思うんです。でも、なかなかそう簡単じゃないからまずは自分が反論や説明できる力を手に入れて、身を守るしかないなと思います。
みんなが学んで変わっていくことが大事と語るさえさん。学校では教えてもらえないことでも自分から調べて情報を掴みにいく大切さを教えていただきました。
今の世の中にあるジェンダーラベルを取り払うにはどうしたらいいと思いますか?
これもやはり教育に尽きると思いますね。当事者だけの勇気や努力に頼らない世界を作るというのは大事だと思っています。みんなが変わらないと、何か言われるかもしれないという疑心暗鬼がなくならないんです。たとえ当事者じゃなくてもスタンダードなものとして、みんなが等しく学ぶのが大事だなと思っています。
出張授業ではなく根本的にその授業のカリキュラムとして組み込んでアプローチするとしたら教育委員会や文部科学省の管轄になるのでしょうか?
そうですね、学校単位であれば校長や教育委員会、市区町村を超える制度設計であれば都道府県教育委員会、そして全国的にカリキュラム化するとなれば文部科学省の管轄になります。教科書の改訂はおおむね10年ごとに行われていて、その都度、学習指導要領の内容が反映されます。ただ、新しいテーマが実際に教科書に盛り込まれるまでには時間がかかるので、変化のスピードに追いつけない分野も出てきてしまいます。また、学校のカリキュラムも『全生徒が必ず学ぶ基本部分』と、各校の裁量で展開できる『総合的な学習の時間』や特別活動があるんです。後者は柔軟に取り組める一方で、内容に差が出やすいのも事実です。たとえば性教育の一環として、あるクラスではコンドームの使用方法を教えるけど、別のクラスでは扱わない、そんな不平等が生じることもあります。その結果、『全員に一律に実施できないのであれば、いっそやらないようにしましょう』といった判断が下されるケースもあったり。結局何をどこまで扱うかが、その先生や学校の負担に度合いに委ねられてしまうんです。だからこそ、制度を変えることと同じくらい、教育現場そのものの体制や文化を見直していく必要もあると思っています。
この記事を読んでいる当事者の方や悩んでいる方にアドバイスなどありますか?
自分のいるコミュニティ以外の声を聞くことはすごく救いになると思っています。今の時代だったらメディアのインタビューなどがたくさんあるから、まずそういうのを見てみるといいんじゃないかなと思います。ただ、同時にこのメディア選びが難しいとも思ってます。選んだメディアによっては逆に期待していたものとは別の影響を受けることになってしまう可能性もあります。例えば、男はこういうもの、女はこういうもの、と強いジェンダーバイアスが前提になったものや「モテ」のような偏った押し付けがあるものもあって、そういうものに最初に触れてしまったら、逆に苦しむきっかけになってしまうんじゃないかと懸念しています。これは極端な例ですが、世の中には様々なものがあると思うので、いかにジェンダーニュートラルで、価値観の押し付けがないメディアに出会えるかというのは大事なんじゃないでしょうか。作り手の私としてはそういうものをどうやったら届けられるのかと考えています。