interview

性も家族も友達も、複雑だからこそ決まったラベルにはまらなくてもいい。悩みながら選択をする大切さ。

アーヤ
フリーランス
2024.10.1

複雑なセクシャリティを「これだ!」と決めきらなくてもいいのでは?と感じ自身のセクシャリティを「クエスチョニング」と公表しているアーヤさん。悩むことは辛いけれど、見えるものがある。悩みながらも明るく笑うアーヤさんにお話を伺いました。

アーヤ

1990年、長野県生まれ。大学卒業後、社会的なメッセージ性のある映画の配給を行う会社で3年間勤める。2018年からフリーになり、映画イベントの企画運営や、記事の執筆などを行う。セクシュアリティは「クエスチョニング」。

ゆらぎのグラフ

振る舞ってきた性
性自認
性的指向
性のゆらぎグラフ 1 2 3 4 5
  1. 女子グループ特有の上下関係などが苦手で、あえて一匹狼を貫いていた中学・高校時代

  2. 大学に入りさまざまな経験をする中で自分のジェンダーがなんなのかで葛藤をする

  3. クエスチョニングを自覚しSNSでカミングアウトをする。LGBTQに関わる映画の仕事にも関わり始める。

  4. 家族との向き合い方についても自分を見つめ直すきっかけとなった。

  5. 悩み続けることは悪じゃない。悩んでゆらいだプロセスに自分らしさは見つけられる

  1. 女子グループ特有の上下関係などが苦手で、あえて一匹狼を貫いていた中学・高校時代

  2. 大学に入りさまざまな経験をする中で自分のジェンダーがなんなのかで葛藤をする

  3. クエスチョニングを自覚しSNSでカミングアウトをする。LGBTQに関わる映画の仕事にも関わり始める。

  4. 家族との向き合い方についても自分を見つめ直すきっかけとなった。

  5. 悩み続けることは悪じゃない。悩んでゆらいだプロセスに自分らしさは見つけられる

INDEX
  1. あえて一匹狼を選んだ中学・高校時代
  2. 「自分のジェンダーは何なのか」という葛藤
  3. クエスチョニングと公表して見えてきた世界
  4. 家族との向き合い方にも選択を
  5. うまく悩んで、うまくゆらいで
振る舞ってきた性
性自認
性的指向

1章 あえて一匹狼を選んだ中学・高校時代

中学・高校時代は一匹狼に徹していたアーヤさん。どのような意識の変化があったのでしょうか?

一番初めにジェンダーを意識されたのはいつ頃でしょうか?

自分の中で最初に意識したのは大学生のあたりです。ただ、振り返ってみるとそれまでもゆらゆらしていたなという感じはあります。

幼少期の振る舞いの性はわりと中性的ですね。

子供のころの写真を振り返ってみると、ショートボブの髪型やブレザーとかボーイッシュな格好をしていることも結構多くて。その一方でピンクのクマの服とかフリフリのドレスを着ていることもあったので、服装は雑多だったなという印象ですね。でも、この時はほぼ自分の意思で選んでいないです。

それはご両親や周りの環境が影響していたのですか?

そうですね。親が選んだものを着ていましたし、姉のお下がりも多かったです。あと、私が通っていた幼稚園は子供の創造力を育むことを大事にしていて、例えば布がたくさん置いてあってそれをスカートのように巻いてお姫様ごっこをしてもよければ、マントにしてヒーローごっこをしても良かったり、人数も少なかったので男女混ざって遊んでいました。自然の中で活発に動き回る遊びも多かったので、男の子らしい遊び、女の子らしい遊びなどを意識もしていなかった気がします。そういうことも影響していたかもしれませんね。

そこから小学校に入って変化はありましたか?

小学4年生の時、サッカー好きな先生が担任になったことがきっかけで毎日サッカーをやるようになりました。女子で参加していたのは私ともう2人だけ。負けん気が強く、男の子を抜かしてゴールを決めたりもしていたので、男の子らしい装いをするわけではないけれど、かといって女の子らしいとも言い難かったのではないかと思います。
でも同じ頃、一緒にサッカーをしていた男の子の1人を好きだったので、女の子として自分のことを意識していたのかなとは思います。ただその頃は、そもそも女性が女性を好きになるという概念自体が自分の中になかったですし、子供の頃の「好き」って恋をすることへの憧れみたいなもののような気もして、本当に好きだったのかはよく分からないですね。

そこから中学時代・高校時代にかけて女性性に振れていきますがどういう変化があったのでしょうか?

中学校になると制服になるので見た目で男女が綺麗に分かれてしまうじゃないですか。加えて、1年半ほど寮生活だったので、女子だけの世界で過ごす時間も増えました。そうしたら、女子の中でのグループ分けみたいなものや上下関係みたいなものも存在していて……。最初はその中に自分も入っていったのですが、悪口や軋轢みたいなものも多くて、だんだん面倒くさくなって「一匹狼」を選択するようになりました。

学生時代の一匹狼はかなり勇気のいることだと思うのですが、寂しさや孤独など感じたことはなかったのでしょうか?

最初に一人行動をするようになった時は周りの目も気になりましたし不安もありましたが、グループでつるまないだけで楽しく話せる友人たちはいたので、寂しさや孤立感はなかったです。

例えば、悩みができたときなどは誰かに相談していましたか?

母ですね。良くも悪くも母との距離が私はすごく近かったので、大学生になってもほぼ毎日のように電話していたぐらい、他愛ないことも大事な悩みも、母にしていました。唯一の相談相手だったと思います。

そこから高校にかけてはどのような感じでしたか?

中高一貫校だったんですけど、途中で抜けて県立の高校に行きました。私服で髪型も結構自由が許される学校だったので、親が昔着ていた服などももらって、毎日のようにとっかえひっかえ、いろんな服装をしていましたね。かわいい系のものもあれば、かっこいい系のスタイルもあったり。でも、誰かに見てほしいとか褒めてほしいとか、振る舞いとして選択していた気はしないですね。他者に向けての表現ではなくて、ただいろんな装いを通じて、いろんな自分を自分自身で味わいたかった、という感覚のような気がします。

そもそも高校ぐらいまでは周りに興味がなかったのかもしれません。高校時代も日常を過ごす友達はいましたが、授業が終わったらすぐ帰っていて、学外で誰かと遊んだ記憶がないです。振る舞う性って他者とのコミュニケーションだと思うんですが、私は学校という自分のリアルな世界にあまり関心がなくて、学校以外の時間に観る映画や演劇で描かれている世界の中に自分を置いて生きていたような気がします。

2章 「自分のジェンダーは何なのか」という葛藤

大学に入り、様々な恋愛経験をする中で自分のジェンダーに悩んだと話すアーヤさん。その葛藤をどうやって乗り越えたかを聞いてみました。

大学2〜3年生の頃に初めて恋人ができました。その方は男性だったんですけど、一緒に買い物に行くと、「似合うと思う」と薦められるのが、花柄やフリフリがあるようなTHE・可愛い女性らしい服でした。そうした服を着ていくうちに、私自身がどんどん可愛いものにハマっていきました。今振り返るとちょっと怖いくらい、その時期は女子爆発していましたね。

彼氏さんに勧められたものに関して、違和感はとくになかったのでしょうか?

たぶん初めて「女性らしさ」を経験して、すごく新鮮な気持ちだったんだろうと思います。私の母は物心ついた頃から「これからの時代は女性も自分の力で生きていけるようにならないと」と口酸っぱく言っていたので、可愛く甘えるような女性像を放棄していたんだと思います。それを初めて手にした新鮮さが楽しかったんでしょうね。

なるほど、新しい世界に触れたのですね。そんな今までと違う価値観の彼氏さんとはその後どうなったのでしょうか?

大学卒業前にアラビア語の研修で滞在したヨルダンで、目以外は布で覆って隠しているイスラーム教徒の同年代の女性と出会ったんです。イスラーム教徒の人でも、髪は隠すけど、顔は出している女性に多く出会ってきたから、どうして目以外隠す装いを選んでいるのか聞いてみたら、「私は外見ではなく相手に中身で判断してほしいから、目以外は見えないほうがいいんだ」と言うんです。すごくかっこいいと思ったし、そのときにハッと魔法が解けたように気づきました。自分がとても彼に依存している状態だと。当時、両親の離婚をきっかけに家族がバラバラになって、うつ状態の母ともぶつかりがちで。物理的にも心理的にも居場所を失った状態だったので、そういう状況も知りながら受け入れてくれる彼に全身全力で甘えてしまっていた気がします。でもちゃんと自立した自分を取り戻したいと思って、一旦少し距離をおきたいと伝えたら、別れることになりました。

その彼とは2年半ぐらい付き合っていたのかな。結婚の話もあって、ご両親とも会ったり、式場を見に行ったりもしていました。その一方で彼と体の関係を持つのが嫌だったんです。嫌だと伝えたこともありましたが、「付き合うということは体の関係も持つのが普通だよ」と言われて。初めての恋人でしたし、そういうものなのかと思ったのですが。彼と別れた後、付き合うことイコール体の関係を持つことなんだとしたら、私はもう誰とも付き合えないんじゃないか、自分はおかしいんじゃないかと思って悩みました。

その葛藤はどのように解消したのですか?

偶然、その頃LGBT関連のイベント等に参加するようになっていたんです。大学時代に憧れの先輩がいたのですが、その先輩がトランスジェンダーだったと後で知って。先輩がSNSで生きづらさをつぶやいているのを時々見かけていて。その人が生きやすい社会になってほしいから、まずは自分ももっと知りたいと思って、いろんなイベントやコミュニティに連れて行ってもらうようになりました。その中で今でもやっているLGBT成人式(※「成りたい人になる(=成人)」ための決意をし、その一歩を踏み出す“あなた”の節目の日。」をコンセプトに2011年から日本各地で開催するエンパワメントイベント。) に参加した時、配布資料を見て、LGBTの4つだけじゃなくて、めちゃくちゃ多様なセクシュアリティがあるという事を知りました。その中の一つが「ノンセクシュアル」、恋愛感情は持つけど性的欲求は持たないセクシャリティでした。驚きましたね。恋愛感情→性的欲求が「普通」だと思っていたので。自分ももしかしたらノンセクシュアルかもしれないと、自分に居場所ができたような安心感を覚えました。ただ一方で、一層分からなくもなりました。一人としかお付き合いしたことがないので、自分はノンセクシュアルなのか、男性ではなく女性が好きなレズビアンなのか、たまたま彼との相性が悪かっただけでストレートなのか。母が婚前交渉に厳しい人だったので、その影響で嫌だったのかもしれないし……。n数が1だと判断ができないんですよね。

たしかに色々な可能性がありますよね。

でもじゃあ、自分がどれなのか確かめるために、いろんな人との恋愛にチャレンジしよう!という気持ちには私はならないし、どれだけ試しても「わかる」時は来ないんじゃないかと思ったんです。果てしない。もう、セクシャリティを「これ!」って決める方がナンセンスだなと思って、そこからずっと私はクエスチョニングを自称しています。

ちなみにその後の恋愛模様は?

その後も男性とお付き合いしましたが、その人との性的関係は全然嫌じゃなかったんです。たぶん一人目の方とは、お互い若かったがゆえのコミュニケーションの齟齬みたいなものだったのかなと今は思います。ただ今も好きという感情があって軽いスキンシップはとりたいと思えても、性的関係をもつことを想像すると違和感を覚えるということは少なからずあります。

さらにその後、すごく仲良しだった女性の友人に、自分が友達以上の恋愛感情があると気づきました。彼女もLGBTフレンドリーな発信をしていたので、気持ちを伝えて断られても関係性は崩れないだろうと思って、勇気を出して気持ちを伝えたんです。でも彼女からすると友達だと思ってきた私が、違う感情でいたことにショックを受けたんだろうと思います。関係性が完全に切れてしまったんです。それ以来、女性が恋愛対象に入っていると分かっている人じゃないかぎり、女性に対して恋愛感情はもたないようにしよう、というストッパーを自分のなかに持っています。

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